初詣は江島杉山神社に行ったので、杉山和一総検校について少し語ります。
1610年、現在の三重県津市に、津藩の家臣である杉山重政の長男として生まれる。
幼少時に伝染病にかかり失明。
家督を弟に譲り、和一は江戸に出て山瀬琢一という鍼灸医の弟子となる。
ところが、覚えが悪く、盲目のせいもあってか、なかなか上達しない和一は
間もなく師匠から破門されてしまいます。
「上達する見込みがないから、これ以上やっても無理。国に帰りなさい」とでも言われたんでしょうか。
破門され、失意の和一は現在の江の島にある洞窟に籠もりました。
その洞窟の中で転んだ和一の手に当たったのは竹と松葉でした。
その瞬間、和一は竹の筒に鍼を入れる、現在の管鍼法という鍼の打ち方を考案したと言われています。
※このエピソードには諸説あります。国へ帰る途中で転んで松葉が刺さったという説も。
その後、京都へ出て、山瀬啄一の師匠である入江良明の子の、入江豊明に弟子入りする。
入江流を極めた和一は再び江戸へ出て開業。名医であると評判になり
61歳の時に盲人の官職では最高位である「検校(けんぎょう)」となる。
更に、当時の将軍、徳川綱吉の病を治し、その褒美として何か欲しいものは無いかと問われ
盲人であった和一は「ひとつで良いから、眼が欲しい」と答えたところ
現在の両国駅近くに、約12000㎡の土地を拝領しました。
これは、当時この辺りが「本所」と呼ばれる地名であり、
その中でもさらに「一つ目、二つ目・・・」と区分けされていたからです。(今で言う番地ですね)
ひとつで良いから眼が欲しいと答えた和一に、
本所一つ目という住所の土地12000㎡を
ポンとあげちゃう将軍・綱吉は、実に洒落がきいてますね。
<続く>
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