人には、それぞれに柱がある。
自信を持っている事や、絶対に譲れない部分。
他人から見ると、なぜそんな事に拘るのかというような事でも
馬鹿にされると腹が立ってしまう事がある。
それが、その人を支える「柱」だからだ。
深い考えもなく、他人が気にするようなことを言って
大事な「柱」に傷をつける行為は、いわば「言葉の暴力」である。
柱が傷ついても容易に修復可能なレベルならばまだ良いが
柱がぐらつくほどにきついことを言われたら人はどうなってしまうのか。
逆に言えば、人はその「柱」がぐらつかないように心を鍛えればよい。
あるいは、「柱」への拘り、執着をなくす。
自分の柱は何なのか? 何にすがって生きているのか?
己に問いかけると、新しい発見があって、そこから新たな意識の改革も可能となる。
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