作法という言葉がある。
いずれ近い将来、死語になるだろうか。
言葉自体はいまだ生き残っていても、その存在はすでに死んだも同然のようだ。
先日、とある蕎麦屋で食事をしていた。
隣に座る若い男。
注文したものが出てくるまでの間、スマートフォンの画面を見ている。
そばが出てきた。しかし食べない。
ずっと画面を見たまま。
5分ほどしてようやく食べ始めた。
かたや、反対隣りの女性。
食べながら、カウンターテーブルに置いたスマートフォンの画面を触っている。
画面をスクロールさせてメールか何かを確認しながら、食べ続ける。
この国はどうなってしまったのだろうか。
つつましく、おくゆかしい日本の礼儀・行儀作法はどこへ行ってしまったのか?
他人のすることであるから、好きなように食べたらよいと思うが。
しかし、古くから伝えられてきた所作が失われるという事は、文化の崩壊である。
どんなに科学や生活環境が発展しても、
知性や文化が停滞、あるいは衰退しては意味がないではないか。
唯一の救いは、蕎麦が美味かったことだけである。
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